蟾兎の夢

「人間が来た、人間が来たよぅ」
 蟾蜍(せんじょ)はピョコピョコ飛び跳ねながら、玉兎(ぎょくと)の元へ報告に走る。
 最後にこの月に人間がやって来てから、もう何十年になるだろう…。
 あの時は、ヘンなモコモコの服を着て、何歩か嬉しそうにピョンピョン跳ねただけで、お土産にここの石を持って帰って行った。

   かれらはちがった。

 二匹の月魄(げっぱく)達はもうずっと長い間、待ち続けている。
 この月を解放してくれる人物が現れるのを……

 以前は彼らの他にも多くの月魄たちがいた。
 彼らは月の救世主を探すべく、人の目には見えない天の橋立を下って下界へ降りた。
 しかし救世主は見つからず、下界の汚染された空気に触れた仲間たちは、そのままただの野ウサギになり、ヒキガエルになり、命を失った。
 月世界にいれば、永遠の命を持つことが出来たのに……

走り寄ってくる蟾蜍に玉兎が訊ねた。
「本当に、『人間』なの?」
玉兎は知っている。
ここから見える碧い大きな星に住んでいる『人間』は、コピーに過ぎない。
この宇宙(そら)の向こうには、もっと前から生きている『人間』がいる。
そう…自分たちと同じくらい昔から生きている『人間』…
いつか、自分たちを迎えに来てくれる『人間』が…

蟾蜍は言った。
「今度こそ、今度こそ本物だよぅ~。あっちに行ってみよ。あっちから見えるよぅ~」

2匹は跳ねた。

月には人の見えない不思議な植物が生えている。
それは枯れススキの先にタンポポの綿毛がついているような、高さ1mくらいの草。
ウサギの尻尾みたいなので『玉兎のしっぽ』と呼ばれている草。
それが当たり一面に生えていて、野原になっている。

2匹はその草の間を跳ねて、月の裏側に向かう。

「ほら、あそこだよぅ~」
蟾蜍が指し示す先に、赤く光る小さな点が見える。
今までなかった星だ。
見上げる玉兎の赤い目が、それと同じように光る。

兎は思った。。

 懐かしい…

でもそう思ってふと気がついた。

 自分たちはいつからここにいるのか?
 何故ここにいるのか?

確かにここには多くの仲間がいた。
 でも彼らはいついなくなってしまったのか?
 どうしていなくなってしまったのか?

 そして自分たちはいったい何者なのか?
 本当に『人間』を知っているのか?

あふれ出す疑問は止まらない…

 自分たちは碧い星にいる兎や蛙と本当に違うのか?
 それともまったく別のものなのか?

 自分たちはその答えを知っているのだろうか?

長い間、考えることをやめていたので、その答えが中々見つけられない。
知っているのは、自分は玉兎と呼ばれ、蛙は蟾蜍と呼ばれ、『人間』の迎えを待っていると言うことだけ…

ここは静かで清浄な世界だ。
だけど寂しい…

兎の赤い目が、涙で光る。

ゆっくりと近づいてくる、赤い光。
段々大きくなってくる。
その光は尾を引きながら近づいてくる。

それは箒星(ほうきぼし)だった。

でも長くこの地にいた月魄達も見たことがないほど大きく、赤い色…
その光は太陽の影に入っても失われず、星自身の光だとわかった。

2匹の月魄達は期待をする。
今度こそ、本物のお迎えだ。
『人間』がやってくる。

赤い星が太陽と月の間を横切った。
それは碧い星よりさらに大きく…
月の空いっぱいが赤く染まった。

赤い星が月魄たちに語りかける。

 ―私たちの片割れ…

赤い空に大昔の映像が映し出される。
赤い星の…そして月の記憶…

大昔、太陽が誕生して、地球が生まれた。
その時に赤い星はやってきて、生まれたての地球と衝突した。
赤い星はその衝動で、一かけらを落とし、それが地球の軌道に乗って月となった。

赤い星には『人間』がいた。
そして『玉兎』がいて『蟾蜍』がいた。
その他にも多くの動物がいた。
『人間』はすべてを支配し、その側近に『玉兎』と『蟾蜍』がいた。
彼らはともに生かし、生かされていた。
すべての生きとし生けるものが、種族を超え、魂で繋がっていた。
彼らに言葉は必要なかった。

遠い宇宙を旅しながら、彼らは平和に暮らしていた。

そして赤い星は、生まれたての星と衝突した。

赤い星が生まれたての星にぶつかった時、赤い星に生きていた者たちはすべて滅んだ。
赤い欠片とともに、彼らの一部が生まれたての星に落ちて、その覚醒を待った。
彼らの一部だったそれは、やがてこの星の生命となり、蛙になって、兎になって、人間になった。
でもそれは一部だったので、どれも完全ではなかった。

彼らは別の種族として、意思の疎通を持たなかった。
お互いが力を合わせて生きてきたことを忘れ、別の生き物になった。

月になった欠片とともに残った玉兎と蟾蜍…
彼らは自分たちについて、思い出した。

月にいる彼らに実体はない。
彼らは月自身の想い出に過ぎないことを…
自分たちは今現在、ここには存在しないことを…

月は映し出す。
かつて彼らが草花で覆われたこの地を走り回っていた残像を…

赤い星は見た。
もう戻ることのない、自分の破片を…

月は見た。
かつて自分があった場所を…

でももう戻ることは出来ない。

赤い星はゆっくりと去っていく。
2匹の月魄たちの想いだけを連れて…

月はただ静かな光を放ちながらそれを黙って見送った。

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